ラスクラスのプログラミングと音楽の日々

プログラミングと音楽についての個人的な書き込みをしていきます。

私の生い立ち【親会社〜現在】

私の生い立ちのシリーズはこの記事で最後になります。

親会社

現在の親会社に入社し、最初はExcelのマクロの作成を担当しました。
上司の見立てでは半年ほどかけて完成すれば良いと考えていました。
しかし作成の方が1ヶ月で終わった為、私のプログラミングスキルが見込まれました。
その為自社に戻ってきた社員に対してプログラミングを教える教育業務をここから担当することになります。 この後その年度の新卒社員へ対してプログラミングの研修を行い、以降新卒社員への教育を私が行うことになります。

また入社して半年ほど経った頃、産学連携授業を行う事が決まりました。
この年は上司同行のもと産学連携授業を行いました。

この頃高校や専門学校の同級生をおこなていたバンドについて、周囲のモチベーションの低さに怒りを感じ、それが表面化した事で解散する事になります。
この時は怒りを1週間くらいは引きずり、人間関係に対して悲観的になっていました。

翌年度からは新卒の研修を専用の部屋で行う事となり、その部屋に常駐する事となります。
この年度の研修では研修で作るもののボリュームが大きすぎた為、それを教える為に私の残業時間も月80時間を超えた月もありました。

またこの年度の夏に1番下の役職につくことになりました。
見える形で評価される事が嬉しかった事を覚えています。

この年度にまた産学連携授業を行いましたが、この時は上司が初回の授業の日に予定が重なっており一人で授業を行う必要がありました。
この時は一人で授業を行うことに対して強い不安感があった事を覚えています。

またこの年は秋にも未経験の中途社員に対してプログラミングの研修を行なっていました。
研修業務と並行して授業の準備を進めなければならず、間に合うか不安が大きかったです。

またこの年度の秋頃に妻と出会いました。

この翌年度からは研修について私が責任者となり、新卒にミスがあると私も監督者として叱られる事が増えました。

またこの頃同居していた祖母が膵臓がんのため亡くなりました。
大変面倒を見てもらいましたが、個人的には祖母は人生を謳歌した様に感じていた為、特に悲しみは感じませんでした。

祖母が亡くなり、自宅にいる事が中々不自由だった為、9月頃から一人暮らしを始めました。
以前一人暮らししていた為、特に大変さは感じませんでした。

またこの頃とある同人音楽サークルへ入り音楽活動をすることになります。
今までのバンド活動とはメンバーのモチベーションが違い、技量も高かった為ついていくのが大変と感じていましたが、楽しかったです。

翌年度の夏に社内の役職者試験を受け、合格したため役職が一つあがることとなります。

この頃から社内での受託開発を始め、それに伴い受託開発のサポートを行う業務が新たに加わりました。

年度が変わり新卒研修が始まりましたが、同時に行う業務が多くこの年は4月から半年間毎月残業が40時間を超えていました。
また夏頃に妻と同居するための引っ越しを行いました。

この時期は忙しく集中力や判断力が低下していた為か上司から叱責される事が多く、報連相も行えなくなっていました。
9月に入ってからはかなりギリギリの状態で仕事を続けていました。
この時期は上司に対して怒りを感じており、転職するかを強く悩んだ事を覚えています。

精神科の主治医に状態を話した所、即時2週間の休職の診断が出ました。
休職中は憂鬱な気分が非常に強かったですが妻がいることもあり、自殺や自傷などの行動へ出ることはなかったです。

またこの時期休職したことと、妻との同居により音楽活動を行う事が難しくなり、同人音楽サークルの方はお休みすることとなりました。

その後通勤訓練を経て11月より時短勤務で復職する事となります。
しかし受託開発のプロジェクトのリーダーが同時期に体調を崩してしまい、作業が遅れ始めます。
それにより勤務時間は基本的には時短勤務でしたが作業は相当なハイペースで行う事を要求されていました。
その為一時的に「このままでは会社に殺されるのでは?」と感じることもありました。

その後プロジェクトリーダーがメンタル不調のため出社できなくなりました。
その為私が代わりにプロジェクトリーダーとなりました。
プロジェクト自体は大きなトラブルなく終える事ができました。

この歳のクリスマスに妻と同居していましたが、プロポーズをしました。
その結果OKをいただき、結婚に対する準備を始めることになります。
当初は写真だけにしようかと考えていましたが、式場を見に行った際に私が式場で結婚式を挙げることに強く惹かれた為、急でしたが2ヶ月後に結婚式を挙げる事が決まります。
非常に忙しかったですが、同居していたこともありなんとか結婚式を挙げる事ができました。

仕事の方は受託開発の新しい案件が入ってこなかった為、自分から営業をする事を上司に提案し、営業活動を行うことになります。
また翌年度の夏に会社のIT部門が分社する事が決まった為、分社に向けての準備や会社のホームページの作成を行うことになります。

年度が明け研修が始まりましたが、この年度は研修場所と私が作業する場所が異なっていた為、中々新卒の様子を観察する事が難しかったです。
またホームページの開発も同時並行で進めていました。
その為マナーや社会人としての緊張感については中々教えられなかったと感じています。
一方でこの時期の仕事に対しての充実感は大きかったです。

現在の会社

分社に伴い従業員兼務役員となります。
この頃から社内システムの開発が始まりました。
この頃から「役員に見合った仕事をしなければ」と言う思いが強く出る様になりました。

分社し2ヶ月ほど経った頃から上司からの叱責などが前年度同様増え、抑鬱状態が出るようになりました。
その為再度2週間の休職の診断が出ます。
この時は「休職に逃げてしまった」と言う思いが強かったです。
ただし色々な事情により復職は1週間早めて復帰することになります。

復帰後は社内システムの管理に戻りましたが、あまりうまく管理する事ができなかったと感じています。
また自宅で作業することもあったため、あまりスローペースでの復帰ではなかったと感じています。

復帰後1ヶ月からは上司の要求が非常に高く、どうして良いのかわからない日が続きました。
その為希死念慮が強く出てしまい、主治医からは休職を勧められていました。
しかし産学連携授業など仕事が溜まっていた為休めないと考えてしまい、この時は休職をしませんでした。
その後時短勤務での仕事に変わりましたが負荷や上司からの風当たりが軽くなることはありませんでした。
その為再度休職することになります。

休職して1ヶ月ほどで体調はだいぶ回復していましたが、上司への恐怖感から復職に対して強く不安を感じていました。
そんな中以前通っていた障害者向けの就労支援プログラムのスタッフの方から、リワークへ通う事を勧められます。
その為、リワークに通う事を主治医に相談し、リワークへ通うこととなります。

リワーク

リワークでは行動療法を中心に様々な再発予防策を学びました。
詳細は別途ブログで記事にして行きたいと思います。
リワークを通じて、自分の中の最大の問題の「上司に嫌われてはならない」や「見本でなければならない」と言う思いが根底にあり、そこから完璧主義、「〜すべき」と言う思考、失敗してはいけないと言う思考があった事に気が付き、そこを和らげる訓練をしてきました。
また会社から過度な要求が多いことも指摘された為、場合によっては転職を視野に入れる事で気楽になりました。
そして卒業できた為、これから復職に向けて動き出して行きます。

振り返り

親会社から現在の会社までの間に関して上司は常に同じ人でした。
休職に繋がった大きな要因として過度な要求を断る事ができなかった事が1番大きな要因としてあると感じています。
その為今後は断る事もやっていきたいと感じています。

またリワークに通う事で「上司の言う事が絶対」と言う考え方から、自分の意見を言っても良いと言う方向に考え方を変化しつつあると感じています。
この考え方で再度休職をしないようにしたいと考えています。

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